お知らせ

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2011/4/10 卒業生の皆さんへ

第122回高等学校卒業生への校長メッセージを掲載

校長 平塚敬一

 東日本大震災により卒業式を中止しました。本来であれば、名前を一人ひとりお呼びして、新しい旅立ちをしていくみなさんを励ます時を共にするはずでした。しかし今日、このような形でみなさんとお別れします。

3月19日朝日新聞の天声人語に とりあげられていましたが、アメリカの詩人エミリー・ディキンソンの詩に「失意の胸へは、だれも踏み入ってはならない、自身が悩み苦しんだという、よほど の特権を持たずしては」という詩があります。大震災で愛する家族を亡くされた方々には、この詩にまさるものはないように感じました。周囲の私たちも心に刻 まなければならない詩の言葉です。時を刻むたびに悲しみ、苦しみは増してきます。一人ひとりの死は重くのしかかってきます。一人のいのちは重いのです。

東京駅などで実に数分間隔で新幹線が発着する情景を見ていて、ダイヤがほんのちょっと狂ったら、あるいは列車に何らかの故障や運転ミスが起こったら、恐ろしいほどのスピードで移動する乗り物がどんな結果をもたらすことになるか。事実、6年前JR福知山線の事故は107名の尊いいのちを奪い、いまだに入院治療を受けている人がいます。考えてみれば、福知山線の事故であれ、東日本の大地震による災害であ れ、たまたま「運よく」私はそういう目に遭いませんでしたが、いつ、どこで誰にも起こるかも知れないのです。今「運よく」と言いましたが、この「運」とか 「運命」という考え方は、あまりキリスト教的な考え方ではありません。それはむしろ古代ギリシア人が好んで取り上げた概念です。たとえば、ギリシア悲劇な どでは、「運命」というものが極めて大きな役割を果たしています。それは人間の力によっては変えることのできないものであり、人間の生涯を左右する決定的 な力として登場します。ギリシア悲劇では、私たち人間が「運命」に対してあれこれ抵抗しても、結局「運命」の中へ呑み込まれてしまうことが描き出されてい ます。そのように「運命」に絡め取られていく人間の姿を哀れに思ったギリシアの神のプロメテウスが「火の力」を与えたという有名な神話があります。「火の 力」とは、現代でいえば原子エネルギーのことでありましょう。そのことにより現代、人間はあたかも自分の中に無限の可能性や無限の力があるかのように錯覚 し、無制限に、また人間に都合のよいように利己的な形で利用する存在となっていったといえます。プロメテウスがやったことが、本当に人間のためになったの かどうか、私たちはよく考えてみなければなりません。特に原子力発電所は自然環境や人間を含む全ての生物に非常に有害であるばかりでなく、格差や搾取の上 に成り立つビジネスです。人口が少ない、高齢化したお金のない地域に都市部の人間が豊かに生活するための負担が押し付けられているのです。それは日本各地 にある54基の原子力発電所や沖縄をはじめとするアメリカ軍の基地も同じ構造にあるのです。現在日本列島をとりまくように存在する54基の原発から恩恵を受けていますが、よほどの決断がない限り、この構図から日本人は逃れられません。世界各国も同様です。人間の都合のよい利己的な思い上がりが人類そのものを滅亡させるかも知れません。

古代ギリシア人が神話を通して本来人間には限界があること、いのちには限りがあることを認識しなければならないことを伝えました。そう したことを忘れた時、人間にはとんでもないことが起きるということを教えているのです。何か深刻な危機に直面するまで私たち人間は、無制限に突っ走ってし まう愚かさがあります。どこまでも乗り物の速度を追求すること、また、とてつもない高さの塔を立てて、あたかも人間の力を賛美することなど、今私たちは願 いや欲望を充足させるために無制限にどこまでも突っ走る状態になっていないか、繰り返しチェックする必要があるのです。プロメテウスの神話に類する教え を、あるいは知恵を聞く機会が少なくなっている現代、今日このチャペルでみなさんが人間の愚かさを見つめ直すことがあったとするならば、私の望外の喜びで あります。それだけで立教女学院で学んだ意味があったと思われます。みなさんが時代をしっかり見据えて歩んでいくことを願っています。みなさんの卒業を祝 し、ご活躍を祈ります。

 (4月10日卒業感謝礼拝より)