堀池桃代

2013年度卒業

堀池桃代Momoyo Horiike

日本貿易振興機構(JETRO)勤務

Profile

3歳~11歳までブラジルで育つ。2008年、立教女学院中学校に入学し、ダンス部に所属。フロリダへの短期留学、体育祭の応援団長など部活動以外にも多方面にわたり活動した。2014年、立教大学社会学部メディア社会学科に進学。立教大学からの交換留学生第一号としてサンパウロ大学へ派遣され、留学中はリオ五輪にてメディア通訳を経験。卒業後は日本貿易振興機構(JETRO)に入構。

大切な場所

立教女学院での6年間、様々なことに挑戦し200%楽しみました。中でも特に濃い時間を過ごしたのが、ダンス部です。中1の夏に怪我をしてしまい、続けられるか悩んだ時期もありましたが、いつか憧れの先輩達と同じ舞台に立ちたいという一心で続けました。怪我が治り、マーガレット祭の舞台に立てたときには、もうすごく楽しくて…。舞台に乗る喜びとあの高揚感をまた味わいたいと、今まで以上に必死に練習しました。初めて大会前のオーディションに受かった時は、努力が認められた気がして、涙が出るほど嬉しかったです。

ダンス部での日々

一番の思い出は、中3での全国大会優勝です。「ディラクエ〜魂の叫び〜」という作品で、祖国を追われた古代ウイグル族の悲しみを表現しました。自分たちには想像もできないような深い悲しみを表現することはとても難しく、みんなでウイグル族の方を訪ね、お話を聞き、踊りを見せてもらったこともありました。手先や指先の角度までピッタリと揃うよう、納得がいくまで何度も何度も練習を重ねました。そうして叶った全国優勝。みんなで泣いて喜びました。

高2の終わりに南三陸を訪問し、集まってくださった町の方々の前でダンスを披露させていただいたこともとても印象に残っています。東日本大震災から2年近く経っていましたが、津波の被害を受けた地域の姿に、衝撃を受けました。そこで、翌年は津軽三味線をテーマに、東北の強い女性像を描いた作品をつくりました。実際に自分たちが見てきた東北の人々の強さを伝えたいと思ったのです。全国大会では立教女学院高等学校初の賞をいただくことができ、高校最後のこの作品は一番思い入れが強い作品です。

私の原点、私の軸

中2の土曜集会で、ブラジルの日系移民を題材にした演劇を鑑賞し、終演後に出演者の方と話をさせてもらいました。その時、担任の先生から「あなたにとって、やはりブラジルの存在は大きいね」と言われて、初めてブラジルに対する特別な思いに気づきました。それ以降、ブラジル関連のイベントやコミュニティーに参加し始め、「いつかブラジルへ戻りたい」という思いとともに、自分の中にブラジルという軸ができていったような気がします。

高校の卒論も、ブラジルの日系移民とカーニバル、そこから見える日本とブラジルの関係について考察しました。卒論を通して知った、社会問題や国際関係に興味を持ち、大学の専攻は社会学を選びました。ゼミでは在日外国人や多文化共生について学び、大学の卒論でも再び移民を取り上げました。実際に現地ブラジルへ行き、日系移民のコミュニティーを回って研究し、まとめた卒論は、学部優秀賞に選ばれました。ここまで熱心に取り組める研究テーマと分野を見つけることができたきっかけは、あの土曜集会だったのかなと、今でも時々振り返って不思議な気持ちになります。

大学3年次には、小さい頃から憧れだったサンパウロ大学への留学を実現させました。私が入学した年に、立教大学とサンパウロ大学の提携が結ばれ、これは運命だ!と思いました。毎日のように国際センターに通い、留学制度の整備を訴え、自分でサンパウロ大学の担当者や、領事館にメールを送りました。初の交換留学生ということで、何も整っておらず、トラブル続きで大変な思いをしましたが、自分で道を切り拓き、実現させただけに、自分の中では何倍もの価値があったと思っています。

立教女学院が与えてくれたこと

卒業後は、「日本と世界を繋ぐような仕事がしたい」「日本とブラジルの架け橋となりたい」という思いから、日本貿易振興機構(JETRO)への就職を決めました。日系企業の海外進出支援や、外資系企業の日本誘致などを通し、日本と海外を繋ぐ仕事は非常に難しく、手探り状態ですが、今後の自分のキャリアにワクワクしながら社会人1年目を送っているところです。
卒業論文や平和学習、部活動など…。立教女学院は多くの学びの機会を与え、好奇心に従う楽しさを教えてくれました。そのおかげで、これまでたくさんのことに挑戦し、自分自身の世界が広がってきたように思います。立教女学院で学んだこと、最高の友人・素敵な先生方との出会いは、私の人生のかけがえのない財産です。