「学びの先に、未来を描ける人に。」

キリスト教が明治以降の日本の社会において果たしてきた大きな役割の一つは、近代日本の女子教育の道を切り拓いたことです。立教女学院も、その一校であり、1877年(明治10年)、アメリカ聖公会より派遣されたチャニング・M・ウィリアムズを創立者として、現在の文京区・湯島の地に生まれました。明治政府がキリスト教禁制の高札を撤廃した4年後、わずか5名での始まりでした。
やがて生徒も増え、1884(明治17年)には、現在の中央区・築地明石町に洋風3階建ての校舎を建築し、500名を超える生徒が学ぶようになりました。その後、1923年9月の関東大震災によって本校は校舎をすべて失いましたが、本校の責任者、マキム主教がアメリカの教会へ打った電文「All gone, but faith in God (すべては失せたり、信仰のみあり)」が、現在の久我山の地での復興の第一歩となりました。その言葉によってただちに支援の輪が広がり、内外の多くの人々の篤い祈りのうちに、翌1924年に校地が与えられ、1930年に現在の高等学校の校舎が、1932年には聖マーガレット礼拝堂も完成し、以来、この地に移ってから90余年、創立時から142年にわたって本校は変わることなくキリスト教信仰に基づく女子教育を行ってきました。

明治の初め、女子が学ぶこと、しかもキリスト教に基づく教育を受けることが、どれほど多くの女性に、知識への扉を開いたことでしょうか。豊かで自由な心を育み、新しい時代に生きる希望と勇気を与えたことでしょうか。そしてその伝統は、142年を経た今、本校が掲げる「学びの先に、未来を描ける人に。」という言葉に引き継がれています。
真摯な学びによって獲得される知識は、私たちをより広い世界へと導き、品格豊かなものとします。キリストにある自由は私たちの心をあらゆる束縛から解放し、他者のために生きる道へと導きます。そうした深い学びと豊かな人格形成こそ、本校が、いかなる時代にあっても揺るぐことなく堅持してきたものであり、それらを通して、次代を見据え、自由と正義と平和の実現のために自らが果たすべき役割を担うことのできる自律した女性を育むことがこれからも本校がめざすものです。

武蔵野の面影を残す三鷹台、緑と四季折々の草花が咲き誇る校庭と歴史を今に語る伝統ある校舎。本校の一日は毎朝の礼拝から始まります。生徒たちは、学べる恵みを神様に感謝し、互いに認めあい、支えあい、励ましあいながら、今日も「他者のためにいま何を学ぶべきか」を自らに問いつつ、自由でいきいきとした学びの時を過ごしています。

2019年4月